【パープルカフェ参加者インタビュー】てんかんの仲間が増えました

パープルカフェ」は「てんかん患者で気軽に話せる場所」として、2020年2月から始めた活動です。

現在は、毎月3回、Zoomでオンライン開催しています。どんな方が参加しているか、どんな場所か、参加者の方にインタビューさせていただきました。

今回は、2021年4月に初参加され、昨年からはSHIPとボランティア契約を結んでパープルカフェ運営のサポート役をしてもらっている山﨑さんにお願いしました。

 

てんかんとは3歳のころからのつき合い

 

--簡単に自己紹介をお願いします

山﨑さん:山﨑智です。てんかんになったのは大体3歳くらいのときです。なのでもう30年近くつき合っている形になります。いろいろな病院を転々と回って、現在はむさしの国分寺クリニックに通院しています。

仕事は東急グループの会社で障害者雇用で働いていて、実家で家族と暮らしています。また、日本てんかん協会東京都支部の世話人として活動もしています。

趣味は高校時代の友だちとの定期的な飲み会です。家族がお酒好きであることや一族がお酒に強かったことから、医師から了承を得ることができました。私自身もお酒もそれなりに飲めます。
大人だからこその楽しみですが、お酒を飲みながらのコミュニケーションを大切していて、とても楽しい時間でもあります。 このような、仕事をしたりお酒を飲みに行ったりという日常的な生活ができることが楽しいですし、幸せでもあります。

 

--ご自身のてんかんについて教えてください

山﨑さん:病気の原因などくわしいことははっきりしていなくて、知っているのは「難治性」であるということです。

検査をしたときに、脳内に「これが傷なのかな?」というものがあったけどはっきりせず、外科手術も相談はしましたが、場所がどこだか分からないので難しいという答えでした。薬は、現在7種類飲んでいます。

発作の頻度は子供のころは年に数回くらいでしたが、学校に上がってからは、環境が変わりストレスも増えたためか、回数も増えていきました。

小学校から大学くらいだと、大体3~4か月に1回あるかどうか、またショッキングなことやトラブルがあると発作が起きる傾向がありました。

現在は、仕事に就いていることもあってか、頻度が高くなり、最近は1ヶ月に1回くらいです。あとは上司と意見が合わないといったことなどがあると発作が起きてしまうことがあります。

発作のスタイルは、昔はけいれんとか、倒れてしまうことが多かったそうです。体も全身麻痺していたり硬直したり、嘔吐してしまったりもけっこうありました。

今は少し変わって、嘔吐はないですし、全身麻痺は回数がかなり少なくなって、時間も短くなっています。けいれんを起こしているのは1分程度で、すぐ元に戻るという形です。ですが、意識がはっきりし、自分の意思で動くことができるまでには15~20分程度はかかります。

ただ、翌日の体調があまりよくないです。微熱が出たり、頭痛がしたりして、職場を休んでしまうこともけっこうあります。昔はかなり高熱を出していて、発作の後2~3日はギブアップな状態だったこともあります。

--周囲にはてんかんのことは話していたのですか?

山﨑さん:どちらかというとオープンにしていた、というか、学校でも発作は起きてしまったので「この病気何なの?」と聞かれ、隠しようがなかったです。

でも、幼稚園もみなさんと同じように通っていましたし、小中高大と一般的な健常者の方と同じ学校に通っていました。

ただ、差別・偏見があったのは事実です。

 

 リーマンショックがきっかけで障害者支援制度を利用

--障害者支援制度は利用していますか?

山﨑さん:利用しています。精神障害者手帳を取得したのは大学生くらいのときだったと思います。それに合わせて障害者雇用も検討し始めました。手帳と同時に障害年金も申請しました。自立支援医療受給者証と、現在は障害者手帳の等級が1級なのでマル障も利用しています。

障害年金は発作が始まった3歳当時まで遡って審査してもらったのですが、病院を転々としていたため、記録がはっきり残っておらず、残念ながら過去の分の年金をいただくことはできませんでした。

それと、日本てんかん協会に入ったのも手帳を取得したのと同じ大学生のころです。
てんかんを発症してしばらくしてから母親が会員になっていたのですが、病気を受け入れがたい気持ちがあって入会していませんでした。現在は私自身も正会員になり、母親は家族会員という形です。

 

--発症から大分経ってのことですが、理由ときっかけを教えてください。

山﨑さん:自分が「障害者」だと受け入れることができなかったのと、必要性を感じなかったことが理由です。普通に健常者の方と同じく生活できていましたし、金銭的には割と余裕のある家庭だったので、緊急性も感じませんでした。

きっかけは大学生のころに起こった、リーマンショックによる就職難です。最初は一般就労で就職活動をしていましたが、当時は求人がすごく少なくて、障害者として利用できるものはしようと思いました。

ただ、東京都と神奈川県で総合職と事務職で検索をかけたら、障害者枠は健常者枠の100分の1くらいしか検索は引っ掛からないというのが現実でした。

その後、一時期東京都福祉保健局にチャレンジ雇用(現:チャレンジオフィス)の臨時職員として勤め、そこから障害者雇用に切り替えて、今に至ります。

当時は自分が「てんかん」で「障害者」だとなかなか受け入れられないプライドみたいなものがあったけど、経済的に考えれば、医療費が事実上無料になるなどのメリットはあるし、いつかは受け入れなければいけないことでした。今思えばですが、やり方を変えるちょうどいいタイミングでした。

パープルカフェでは新しい仲間ができた

--パープルカフェに参加したきっかけは?

山﨑さん:てんかん協会のグループ交流会で中山さんに初めて会って、そのとき存在は知りました。でも交流会に複数参加する必要はないかなと思っていました。
その後、グループ交流会のメンバーでパープルカフェにも参加している人から誘われて、実際参加してみたら、想像以上に面白いなと感じました。
グループ交流会とはまた別の感触を得る場だったので、現在はスケジュールの合う限り、パープルカフェにも出るようにしています。

--具体的にどんな話が面白かったですか?

山﨑さん:例えば「お風呂で発作が起きたら困るよね、じゃあどうなの?」など、病気の困っていることとか、ちょっとした気になることが話に上がったり、他にもてんかん患者ならではの話が結構多いです。

もちろんそれ以外のフリートークの場も多く設けてもらっているので、いいんじゃないかなと思います。

 

--参加する前と後で新しく気づいたことや、影響があったことはありますか?

山﨑さん:やはり単純に「仲間が増えた」ことが大きいですね。あとはてんかんの人が必ずしも全員てんかん協会に入っているわけではないんだなというのもひとつありました。

てんかん協会の他にもてんかん患者同士の交流をする場を設ける法人は存在しているんだということを、実際自分の目で見ることもでき、うれしく思いました。

 

--サポート役としても、今後どうしていきたいか、要望や意欲はありますか?

山﨑さん:現状だと、個人的にはルールがちょっと厳しいかな、毎回のルール確認なども固いかなとも思います。交流の場ではトラブルに対応するためルールが必要なので、むずかしいですが検討していかなければと思います。

また、存在がまだまだ知られていないので、新しい参加者が増えるよう、宣伝していきたいです。運営活動にはやりがいがあり、楽しいと感じています。

てんかんの人たちのちょっとしたガス抜きができる場、交流できる場を作りたいという気持ちは強くあるので、サポート役としてよりよい環境づくりをしていきたいです。

そのために今参加してくれているメンバーからの意見は積極的に、可能な範囲で反映していければいいなと思います。


山﨑さん、ありがとうございました!

改めてお話を聞くと「自分もそうだったなあ~」と共感する部分もあれば「ここは全然ちがうなあ」と思う部分もあります。患者同士だから気楽に話せること、新しい気づきがあると毎回思います。今後も、てんかんについて自然に話し、知ることのできる社会を目指して、交流の場を広げていきたいと思います。

※パープルカフェは、本名や顔を出さずに参加することも可能です。できるだけ、色々な方が、ご自分のペースで参加できるようにしています。

現在、毎月オンライン開催しており、2月5日には3年ぶりに立川で直接集まる会を行います。興味を持った方は、お気軽にお問い合わせください。