最初のてんかん発作のこと、親に聞いてみました

初めて発作が起きたときのことは覚えています。ちょうど今と同じ年末年始のあたりか、冬で、お餅を食べる時期でした。

母親に「お餅食べる?」と聞かれて、気分が悪くなってソファーに横になったところで記憶は途切れ・・・

目が覚めると病院のベッドの上でした。病室の外から『けいれん』という言葉が聞こえて「小学校の図書館で借りた小説に出てきた『てんかん』ってやつじゃないか?」と思いました。

この辺の話は、これまでにマンガやブログにも書いていますが、あくまで自分の記憶の話です。細かい状況や、病院にどのくらい入院したか、最初の検査や診察などは、もう29年も前ですし、覚えていません。

「てんかんを初めて知ったときの体験や、そこで得た情報が一番重要」というツイートを見て、実際はどうだったんだろう?と思い、親に聞いてみることにしました。

ちなみに、1年前に「ぽつラジオ」さんのYouTubeでお話ししたときにも、話している途中で「親に自分のてんかんのことをもっと聞いてみよう」という思いがわき上がってきました。

自分の中だけで考えず、人と話すことは新たな気づきや、意欲がわくのだと、実感したものです。

https://twitter.com/kokeship_10cans/status/1460150820981198852?s=20&t=lwogj_wRIlMuRupncQssow

マンガの第4面に書きましたが、数年前に、母親に自分の気持ちを手紙に書いて「イライラしそうだから返事は書かないで欲しい」と送りました。

そのまま自分はスッキリして、現在は親とてんかんの話をしても変にいらだつこともなくなっていたのですが、手紙は一方的に送りつけたままでした。

「親に昔のことも聞いてみよう」と思ったことで、「返事したいことがあったら言ってくれていい」と伝えることができました。

でも、その後は、ちょっと気恥ずかしくて、あんまり聞けていませんでした。

で、今回あらためて親に「最初の発作のときのこと」を聞いてみたのですが、けっこう知らなかった事実が出てきました。

発作が起きて意識を失った後(記憶のない間)はてっきりすぐに全般発作を起こしてソファーで全身けいれんを起こしたものと長年思い込んでいましたが、実際にはけっこう動いて、けいれんはしていなかったと聞いて、ちょっと衝撃でした。

母親に聞いたことを、簡単に箇条書きしてみます。母親も大分記憶がおぼろげなので、詳細はわからず、事実とは違うところもあるかもしれません。

● 自分の記憶では餅を食べる前に発作が起きた。母親は餅を食べたかどうか見ていなかったので、苦しそうにしているのを見て、餅をつまらせたのかもと思った

● 救急車が来て、「餅ではない」と判断され、搬送された。2~3日は入院した

● けいれんはそんなにしていなかった

● 病院では、けいれんを起こした後に脳波をすぐに取っても脳波の乱れがわからないから、後で取りますと言われた

● 先生は、こっちから聞かない限りは特に何も言わない感じだった

● 父親の話だと、先生には「5年間薬を飲んでいれば治る」と言われたらしい(母は聞いていない、父からその話を聞いたのは、こけしが大学入学のため上京した後)

● 小、中学生のころは、朝晩飲むよう言われた薬がときどき残っていて、飲み忘れしていた

結構自分の記憶とはちがうというか、覚えていないことが多いな~、思い込みや知らないことがまだまだあるなって感じました。

薬の飲み忘れについては、母が気にしていました。

自分としては、当時の発作の頻度や、難治性であることなどを考えると、「飲み忘れない方が当然いいとは思うけど、多分そんな気にしなくていいと思うよ」と思いました。

でも、そう言い切れる根拠がもう残っていないのですが・・・

「てんかん」といつ診断されたのかなど、他にも気になることはあったのですが、最初に主治医と話したときのことなんて自分も全く覚えていないし、母もほとんど覚えていないようです。

それと、あらためて話そうとしてみて気づきましたが、「てんかん」を口止めされたときのことはまだ聞きづらいというか、遠慮してしまうみたいです。

久しぶりに「てんかん」という言葉が言いづらいと感じました。友達に初めて打ち明けたときのことを思い出しました。

今は発作の話でもなんでも普通に話していますが、小さいころの話をちゃんとしたことはあまりないので、今さら恥ずかしいというかなんというか・・・まあ、単純に話し慣れていない、ってことなんだと思います。

まだまだ話すと色々出てきそうなので、これからもちょっとずつ、話していこうと思います。