てんかんと就職、 障害者雇用

今だから思うことですが、こけしの「 てんかん 」が単なる持病から「 障害(生活の妨げ) 」になったのは、就職して社会人なってからでした。発作はずっと続いていたけれど、学生生活を続けられなくなることはなかったです。でも正社員は、一年も続けられませんでした。

以前行った障害児の保護者向けイベントでも、やはり皆さん気になるのは「 就職 」のことが多いようす。親が一生面倒を見られるわけではないし、子供の「 将来 」を気にするのは当然ですね。

障害者が社会に出て就職することを助ける制度のひとつが「 障害者雇用率 」。企業は従業員の内、決まった割合以上、障害者を雇用する義務があります。この「 障害者 」とは、障害者手帳を持っている人のこと。「 てんかん 」は「 精神障害者保健福祉手帳 」を持っていると、 障害者雇用 の対象になります。

ちなみに「 障害者雇用 」の対象に身体、知的障害者のほかに、「 精神障害者 」も加わったのは2006年。こけしが大学を出た翌年でしたし、最初に就職した時はまだ障害者手帳を持っていなかったので、 障害者雇用 の対象外でした。まあどの道、当時は「 障害者手帳 」も「 障害者雇用 」も知らなかったのですが…。

障害者雇用

就職活動では「 てんかん 」だと企業に話しませんでした。子供の頃から周囲に隠していましたが、就活では隠すと言うより、「 言う必要はない 」という感覚でした。就職後も、今まで通りやっていけるだろう 」と思っていたのです。そして希望の販売職に就けました。

しかし、いざ「 社会人 」「 正社員 」になると、仕事は朝から晩まで忙しく、学生とは全然違う生活。以前より重い症状が出て、仕事中に動けなくなることもあり、でもどう対処したら良いか分かりません。

会社もすぐに解雇せず、仕事が続けられるよう、店舗の異動、アルバイトに変更など、負担を軽くしてくれました。でも、仕事中の発作は続き、約一年でクビになりました。

自分がもし最初から「 障害者 」として就職していたら…?考えても難しいところですが…

発作が重くなる可能性が頭にあって、それを周りにも伝えた上で働いていたら、違っていたかもしれない、とは思います。発作でレジが打てなくなり、一人で混乱して動けなくなった場面…。もしすぐに他の従業員に代わってもらって数分休めれば、現場の混乱は少なかったでしょう。発作が重くなった時、上司に相談して残業を減らすなどできていれば、症状の悪化を防げたかもしれません。

また、解雇された後、働いていた店舗でアルバイトの募集があったのでお願いしてみました。お店の従業員たちは歓迎してくれそうでしたが、会社からは断られました。会社にしたら、「 仕事はできても病人 」だったのでしょう。でも「 障害者雇用枠 」だったら、会社は義務を果たすために必要なので、違っていたかもしれません。

ラファミド八王子に再就職した後、障害者手帳を取得した後は障害者雇用枠で働いていました。こけしの場合、一般雇用の時と特に変化は感じていませんでした。というのも、ラファミド八王子では元々、一般雇用の時から「 てんかん 」だと理解してもらえていたからです。なので、会社の障害者雇用率を埋めるのに貢献できて良かったな~ってくらいです。

「 障害者雇用 」への理解は企業によってまちまちでしょう。その中で仕事を続けていくために、自分でできることとしては、病気や障害について知ること、そして周りに分かってもらうことが大切だと思います。