なぜ「 てんかん 」の自分を「 障害者 」だと思わなかったか

こけしが初めて発作を起こしたのは25年前、冬におもちを食べようとしていたからちょうど今頃です。
「 てんかん 」の患者も支援を受けられる「精神障害者福祉手帳」はその1年後くらい、1995年に規定されました。
でもこけしが手帳を取得したのは、つい6年くらい前のこと。

どうして長いこと、受けられるはずの支援を受けていなかったのか?
「支援制度を知る機会がなかった」から、それと支援制度を知った後も「自分が 障害者 だと思わなかった」から。

自分が受けられる支援制度について病院でも学校でも教わらず、親も知りませんでした。結局知ったのは、社会人になってさらに数年たって、 障害者支援の仕事に就いてから。

でも「 障害者 」という言葉は、どこかで知る機会があったはず。
なんで、自分を障害者と思わなかったのか… 障害者ってなんだと思っていたのか…?

「 てんかん 」を発症した小学生のころの「 障害者 」の思い出、と考えると…
まず思い浮かぶのは、近所をよく歩いていた人の姿。
顔が大きく見えて、少し歩きづらそうで、何か「他の人と違う」と感じたのを覚えています。その当時は知らなかったのですが、おそらく「小人症」だったのだろうと思います。
それと、まだ自分が てんかん になる前、祖母が倒れて、その後右半身が動かなくなって、杖と車椅子を使って生活するようになりました。
あと思い浮かぶのは、母親が読んでいた盲導犬と視覚障害者の漫画と、「裸の大将」シリーズ。

「 障害者 」のイメージ

他にも思い出せないことが色々あるかもしれませんが、思い浮かぶのはそのくらいです。

子供のころの「 障害者 」のイメージは
「目が見えない」「耳が聞こえない」「歩けない」「上手く話せない」など、「身体が不自由な人」「言葉が不自由な人」。
それに「かわいそう」「障害者になったら大変」といったマイナスな、そして「普通と違う特別な」イメージ。

で、自分のことはどう思っていたかというと、自分は「 てんかん 」という「病気」だけど、学校に行って勉強して友達と遊んで部活動をして、別に不自由はなくて、「 普通 」に生活出来ていると思っていました。

生きていれば誰でも「 障害者 」になる可能性はあります。「小さな障害」ならみんな何かしら持っているでしょう。そして「障害」は本人だけの問題ではなく、社会の在り方で変わるもの。「障害」は決して自分と関係ない特別なものではないのです。でも、こけしはずっとそのことを知らないまま大人になりました。

そして自分が「 てんかん 」で会社をクビになっても、発作で救急車を何度も呼ばれても、「 てんかん 」で障害者支援を受けられると知っても、自分は「普通と違う特別な」障害者ではない、と考えてしまっていたのです。

子供のころから多分何度も「 障害者 」という言葉は耳にして、何となくのイメージはあっても、その言葉の「意味」をちゃんと知る機会はなかったのです。