てんかんの子供 の 小さな世界 病院と先生

「てんかん」という病気は「100人に1人いる」病気、子供から年配まで「誰でもかかる可能性はある」病気だと言われます。…と書くと、珍しくない病気のように思えますが、「てんかん」がどんな病気か知っている人は、まだまだ少ないのではないでしょうか。

何しろ、当事者である自分自身が、まだ知らないことが沢山あると発症から25年近く経つ今も思わされるのです。
「発作が時々起きる」「毎日薬を飲まないといけない」「脳波に異常がある」「なぜか隠さなければならない」…子供のころ、こけしが自分の「てんかん」について知っていたことは、今思えばとても少なかったです。

てんかんの子供 小さな世界

てんかんにも色々種類があり、自分はその中でも「難治性」であること、「難病」であり支援制度があること、薬が何種類もあること、服薬以外の治療法、てんかんで制限されること、偏見を持たない人もたくさんいること、隠さなくても良いこと…
大人になってから知ったことを「知る機会」は、子供のころ、なぜ持てなかったのでしょうか…?

インターネット普及前とはいえ、「てんかん」は大昔からある病気、世の中にはたくさんの情報があったはずです。
「偏見」のために、正しい情報から遠ざけられてしまったことがひとつ。
学校の先生や友達には、てんかんは隠さなければいけませんでした。てんかんについて知る場所は病院だけでした。では病院ではどうだったのか…?

最初に倒れた時運ばれたのは、その地域では一番大きい総合病院で、そのままその病院の小児科にかかることになりました。主治医は小児科で一番えらい先生でしたが、正直、印象の良くなくて、話しやすい相手とは思えていませんでした。つまり、信頼していなかったのだと思います。

「いつ治りますか?」「いつ薬を飲まなくて良くなりますか?」「検査で何か分かりましたか?」普段から知りたいことは沢山あったはずなのに、もともと人見知りなのもあって、それを主治医には聞けませんでした。
でも、だからといって、他の場所で「てんかん」について調べようともしなかったわけです。
なぜか?ひとつは、病院以外では「隠さなければならない」ものだったから。「知ること」よりも「隠すこと」が最優先だったのです。
そしてもうひとつは、病院と先生を無条件に信じていたのだと思います。…あれ、さっき信頼していなかったって言って、矛盾していない?と思うでしょうが…。

子供のころは、医者や教師など「先生」と呼ばれる人間の言うことは正しいと思って聞いているもので、「先生」に嫌な印象は持っても、疑うことはなかったのです。
大学生になって一人暮らしを始め世界が広がり、自分と同じくらいの年齢の人間も「先生」と呼ばれるのを見て、「先生」と呼ばれていても完璧ではない、肩書の前に一人の人間だと気付きました。そして自分の主治医の話と全く違う治療法を本で知って、初めて主治医に疑問を持つことになったのです。

子供のころ、自分のてんかんについて十分に知ることが出来なかったために、こけしは大人になってから大きな苦労をすることになります。発作への対処を自分で知らず、人にも説明できず、また車の運転や妊娠や飲酒…てんかんであるために出来ないこと難しいこと危険なことを、後から後から知ることになるのです。

てんかんの子供 小さな世界

もっと早く知ることが出来なかったのは、てんかんを隠していたから、社会の中でも知られていなかったから、病院を無条件に信用していたから、教えてくれる人がいなかったから…。

その後も自分自身の治療や、障害者支援の仕事の中で、色々な病院や医者と関わる機会がありました。信頼できる医者にも会えましたが、信頼出来ない病院や医者も沢山存在するのが、残念なことに事実です。
子供は学校や家庭や病院など、 小さな世界 の中で生きていると思います。子供たちに「知る機会」を大人が作ってあげてほしいと思います。