てんかん発作の思い出~発作は隠すもの・隠せるものだった~

こけしは11歳でてんかんを発症し、気付けば30年以上経ちました。
てんかんについての知識が増え、パープルカフェなどでの他の患者さんたちとの交流を通じて特に強く感じるのは、「もっと早く知っておけば」という思いです。

そのため、MOSESや自助サポートグループはてんかん治療の基本に組み込まれるべきだと強く感じています。てんかんのことをもっと早く分かっていれば、自分の人生が大きく変わっていたんじゃないかと思います。

学校の授業中の発作で考えていたこと

「てんかんについて知らなかった頃の自分」はどうだったのか、過去の発作を振り返ってみます。小学生か中学生の頃、学校の授業中に発作が起きたことがありました。

教室で座って授業を受けている最中に、突然発作が起きました。すごく気持ち悪くなり、けいれんはなく、多分、ほんの数秒か数分で元の状態に戻りました。ただ、発作中は他の患者さんからも同じような話を聞くことがありますが、まるで「異次元に引きずり込まれる」ような、普段は感じることのない耐えがたい感覚がありました。

11歳の時、小学5年生の冬に自宅で発症し、救急車で搬送されてから、20歳を超えるまで、このような焦点意識保持発作(単純部分発作)が毎月1回起こっていました。

発作中は、何よりもまずじっとして、周りに気付かれないように静かにして、発作が治まるのを待ちました。黒板の前で話している先生や、周りの席で授業を受けている同級生たちは見えていましたが、異次元の中で、抵抗できない恐怖を感じていました。

その時、考えていたことは「周りに気づかれないようにする」「元に戻るまで待つ」でした。

発症時に親に口止めされたことから、当時のこけしにとって、発作は「だれにも話してはいけない」「知られてはならない」ものでした。その理由は分からずとも・・・

発作が治まると、本当に元の世界に戻って、何ともなく、普段通りに動けます。

発作が治まったこと、そして誰にも気付かれなかったことに、ホッとしました。その時、自分の発作が誰にも気付かれないものだと感じました。

実際、その後20歳を過ぎるまで毎月発作は起きていましたが、一度も気付かれたことはありませんでした。

 

意識が「周り」ではなく「自分」に向けられていたら

発作が起きたとき、こけしは外に意識を向けていました。「周りに気づかれないように」が最優先で、あとはただ「早く元に戻ってくれ」と願うだけで、自分の発作の状況を確認しようとは思いませんでした。

振り返ると、それは本当にもったいなかったと思います。発作が起きた状況や時間、自分が感じた症状、周囲が見た症状などは、治療を進める上で非常に重要な情報です。

現在は、発作時の状況を記録することで、発作の誘発要因などを理解し、発作を減らし症状を軽減することができています。誘発要因や症状は、患者本人にとって予想外のものであることも多く、気付かれにくいことがあります。

こけしの場合、今、治療の重要なポイントになっている誘発要因の「入浴」や、「前兆発作」について知ったのは30歳を過ぎてからです。

てんかん発作のふり返り~銭湯の脱衣場にて~
てんかん発作の微妙な前兆③+予兆(プロドローム)

大人になってから発症した方と話すと、思い返してみれば、発症の前から「前兆だったかもしれない」と思える小さな症状があったという話が出ることもあります。

また、誘発要因は人によって異なりますが、女性の場合は「生理中のホルモンバランス(エストロゲンの増加)」が影響することがあります。生理期間中に必ず発作が起こるという人や、全く関係ないという人など、いろんな話を聞きます。

こけしの場合、発作の有無が生理周期と関連しているかははっきりしません。子供のころ、毎月1回忘れたころに起きていた発作が、生理周期と関連していたのかどうか・・・記録がないので今となっては確かめようがありませんが、気になります。

 

「知っていたら」違う選択肢があったかも

当時のことを思い出したり、親に話を聞いてみると、自分自身も親も、おそらく主治医も、てんかんについて理解が足らず、治療が不十分だったと思います。しかし、日常生活に支障がなかったため、自分のてんかんがどのような病気なのか疑問を持つこともありませんでした。

そして、社会人になってから発作が重くなり、本当に苦労することになってしまいました。

自分の発作をもっと理解していれば、就職後一年で会社を解雇されることもなかったかもしれません。大学卒業後すぐにフリーターになるとは思ってもみませんでした・・・

それがキッカケで経験できたこともありましたが、知識があれば違った選択ができたかもしれないと思うこともたくさんあります。

「てんかんとはどういう病気なのか」を、てんかんの当事者も、社会にももっと知られていけば、てんかん患者の選択肢が増え、その「障害(生きづらさ)」は、変わっていくと思います。