「病気と向き合う」「障害を受け入れる」という言葉を耳にすることがあるかと思いますが、こけしはどうだったのか?
「自分を病気だと認めたくない」場合にこういう言葉が出ることが多いかと思いますが、こけしはそもそも、てんかんを難病とも障害とも思っていませんでした。
たまたま「てんかん」という病名は知っていて、でも病気の詳しい内容や、世の中の偏見は知りませんでした。「なんか聞いたことある、あの病気になったんだー」という感じで、不安もなにもないわけです。
その後すぐに親に「誰にも言うな」と言われたことで、「てんかん」は「知る」とか「向き合う」とかの前に、「周りから隠す」ものになりました。
発作の時に一番に考えるのは「気付かれないようにしなきゃ」。周りにばれないように、じっと黙って我慢…。
小学生から高校生までの発作は、突然気分がものすごく悪くなって、数秒か数分で元に戻る、というもの。正確には覚えていませんが、月一回はあったでしょうか。
けいれんなど目立つ症状もなく、発作後は普通に動けたので、無事に隠しきれていました。発作のせいで怪我や学校を休むこともなく、何年も発作は続いていたけれど、表面上、日常生活に問題はなかったのです。
また、発作が無い日が続くと、「もうこのまま発作は起きないんじゃないかな~」って気になります。もちろん、毎日服薬していますし、発作は幾度となく起きていたのですが、のどもと過ぎれば熱さを忘れるというやつですね。
体がつらい時は本当につらくても、元気な日が続いたらつらい感覚は忘れてしまうでしょう?病気、災害、事故、いつ何が起こるか分からないと知っていても、いつも通りの日々が明日も続くと思いませんか?
それでも、発作が起きるとやはり耐えられないつらさで、「二度と起きて欲しくない」と思います。さっさと忘れてしまいたいし、「次の発作」なんて考えたくないもの。
一番重要な「周りから隠すこと」はできていたので、他に発作について考える必要はなかったし、考えたい気持ちもなかったのです。
その後、周りに発作を隠せなくなり、隠さなくて良いと知り、更に10年以上経ってやっと今は、毎回の発作を振り返って予防や対処に生かせるようになりました。
振り返ってみると、「発作自体を見る」内への視点を持てなかったのは、長いこと、発作を隠すため外の目ばかり意識していたからなのでしょう。
現在はてんかんと向き合えているか、と言われたら、「こんな病気になりたくなかった」と思うし、完全に受け入れるなんて無理でしょう。
でも、てんかんは自分の一部で、目をそらし続けることも無理だし、良いことありません。
発作の危険や不安を減らすために、「てんかん」と生きていくために、「自分の発作を見ること」はとても大切だと思います。